それでも、頑張るしかない

地獄でなぜ悪い フィクション

徒歩で行ける飲食店に全て行く

土日暇なので、家から徒歩で行ける飲食店に全て行く、という義務を自分に課している。飲食店にはチェーン店も個人店も含む。ただし、居酒屋は含まれない。

私が住んでいる地域の個人店のラーメン屋は、はっきり言って、不味い。一体俺は金払って何食わされてんだと思う。本当に、ひどい店は多い。インスタントラーメンの方がはるかに美味いというケースは多い。ひどい店は、50年前からやってます、みたいな店に多い。備え付けの調味料は、これいつからここに置いてあんだよ、みたいなものが多い。怖くて使えない。調理風景は、見ないようにしている。

今日行ったラーメン屋も、ひどいものだった。当然のごとく客はいない。ラーメン屋老夫婦はゴルフ中継を見ていた。この時点で不味いことは分かっていたので、少しでも辛さで味を誤魔化せる担々麺を注文した。どんなに調理が下手でも、担々麺本来のポテンシャルで、なんとかなると思ったのだ。しかし、不味かった。700円もした。

こんな目に会いながら、なぜこのような苦行を続けるのか。それは、個人店なりの生き様を見たいからだ。個人店には、店に刻み込まれた生活がある。今日行った個人店にも、店主の妻が撮った花の写真が飾られていた。厨房の様子に歴史を感じた。なんというか、人の家を見させてもらっているように感じる。ラーメンはおまけで、博物館に行くように、ラーメン店を見学しているというのに近い。

とかなんとか、いろいろ書いたが、感傷で誤魔化すのも限界がある。今日をもって、個人店に行くのはやめる。普通に美味しいものが食べたい。