それでも、頑張るしかない

地獄でなぜ悪い フィクション

過去の記事が過去じゃない

過去書いていた記事を見て思う。こんなことを俺が考えていたはずがないということを。俺はこんなことを考えるような人ではないということを。

本当の俺はもっとひどい。誰も見ないような記事なのに、どこか他所行きのことを書いている。私が本音を出せるところは、結局のところ自分の脳内でしかないのだ。いや、脳内ですら、どこかストップをかけている気さえする。

流石にそろそろ限界だ

爆発のときが近づいている。俺には一片の猶予もない。破滅。破滅。破滅。あまりにも明確だ。もうどうにもならないんだ。

昔から知っている。必ず破綻することは。それが、いよいよ来たというだけだ。予期された完全崩壊。免れぬカタストロフィ。

何度もシミュレーションした、何度も想像した終わりの日。それがまもなく、近日中に、確実にやってくる。俺が、普通じゃなくなる日だ。

地獄すぎる

嫌なことしか起こらない。身体障害や知的障害はない。絶対的貧困でもない。しかし、そんなことに感謝してられるか。本気で、そんなことで満足できるわけがない。もちろん、それは幸いなことではあるが、それらの障害がないことに、感謝したり満足し続けられるほど、俺はおめでたくない。というか、そんな奴はおかしい。

日々、逆ギレするタイミングを伺っている。心のどこかで、いや、中心で、首と言われるのを待っている。

若いのに終活を始めた

日々、終わらせ方を考えている。人生において重要なのは、終わらせ方だけだ。どこかで、やらねばならない。俺の人生は袋小路。完全に行き止まり。

だけどまあ、視野狭窄に陥っている可能性も十二分にあるので、まずは仕事を辞めてからだ。そこが全てだ。というわけで、仕事の辞め方も考えている。どんなタイミングで。どんな切り出し方で。

俺の怒りで地球を燃やす

一年に20回くらい、耐えられないくらい屈辱的なことを言われる。しかし、その全てに俺は耐える。とりあえず、耐える。というか、耐えないというのはどういう状態なのか。

その20回の中で、数回は同一人物によるものだ。そいつを、俺はマークする。こいつは許さねえ。いつか、とんでもない目に合わせてやる。そのいつかのために、耐える。作戦を練る。証拠を集めておく。ここぞという瞬間を、俺は待つ。そのここぞというのは、相手が、一般的にひどい言葉を俺に浴びせた時でもあるが、同時に、俺がブチギレることができる瞬間でもある。強いものに歯向かうのは、いくら怒っていても怖い。いくら俺が正しいという証拠が残っていても怖い。だから、そのブチギレを、ある意味理性的に利用する。

とにかく、ただじゃおけない奴が多すぎる。日々、憎しみだけが増大する。

だから駄目なんだと言われた

今日、会社の人からだから駄目なんだと言われた。許せねえ。絶対に許せねえ。怒りで気を失いそうになった。

そのぐらい俺は傷ついていたし、同時に怒っていたのに、なんとヘラヘラ笑うことしか出来なかった。それどころか、反射的に「すいません」などと謝っていた。でも、自分に腹は立たない。情けないともあまり思わない。あそこで、反論したらどうなっていたよ。そのときはよくても、あとで大変なことになる。だから、まあしょうがない。死ぬほど憤りを覚えるが、しょうがない。

反旗を翻すのは、ちゃんと計画を練ってからだ。場当たり的にキレるのは、愚かだ。それまでは、泳がせておく。そういうことにしておくことで、いくらか社会人としての寿命を延ばせる。