ネットに何かを書き込むと、それが永遠に残ってしまうとよく言われる。
しかし、考えようによっては、絶対に消えないバックアップなんじゃないか。
ネットに何かを書き込むと、それが永遠に残ってしまうとよく言われる。
しかし、考えようによっては、絶対に消えないバックアップなんじゃないか。
まだまだ、仕事が忙しい時期は続く。仕事は絶え間ない。やったと思った仕事は、すぐにやり直しになる。こいつらは、俺を殺す気なんだ。
疲れた身体で、働かない頭で、仕事をし続ける。会社の戦力になりたかった時代は、とっくの昔に過ぎ去った。どちらかといえば、今は戦力とみなさないで欲しい。
何もしたくない。何もしたくない。
正直言って、仕事で要求されるような能力が俺にはない。少し足りないのではなく、完全にない。周りもそれを分かっているのだが、だからといって、代わりが出てくるわけでも、俺を首にできるわけでもないため、延々できない仕事をやり続ける羽目になる。
仕事は、わけがわからない。俺には複雑すぎる。目に入った犬の数を数えて報告するとか、そういう仕事はないものか。しかも、数は間違えていても特に問題ないという、そういう仕事はないものか。
俺には理解力も学習能力も記憶力もコミュニケーション能力も、何もない。応用どころか基礎もない。苦しみだけがある。
連日、仕事で疲れている。俺は、なんのためにこんなことをしているんだ。毎日、どうでもいいことでイライラして、怒られて、悪い冗談としか思えない。
業務量が多すぎる。減らしてくれと言ったが、減らしてもらえない。いくら残業しても無理だ。もう完全に疲れてしまっている。
今も、色々書いているが、自分で何を書いているか分からない。
疲れやすいのに体力がある。傷つきやすいのに耐久力がある。それでいて、能力は著しく低い。完全に、自暴自棄にはならない。というかなれない。
毎日、新しいことが起こる。俺はサラリーマンである人生に、疲れることや絶望することはあるが、退屈したことはない。毎日変化に富んでいる。
と、思っていたが、ある説に気がついた。俺は、応用力がなさすぎるため、ほとんど変わらないことを「新しいパターンだ」と認識している可能性がある。
また、考えられないようなミスを同時多発的に起こすため、退屈する暇がない。変化を自分で作り出してしまっている可能性がある。まあ、要約すると、いろいろ大変なのである。
自分が5分前に送ったメールの意味が、分からないときがある。そのとき、自分が何を考えて、どういう論理展開でこのメールを書いたのか分からない。忘れているのではなく、分からない。5分前の自分の思考の意味が分からなすぎて驚く。
ここまで来ると、もはや仕事ができるとかできないとかいう問題ではない。半期ごとのKPIなんて設定している場合ではない。スケジュール管理がどうのこうの言っている場合ではない。これは、自己同一性とかの問題だ。とっくに仕事のフェーズではない。ネタじゃなく、5分前の行動の理由を説明できない奴に(俺に)、指導も何もあったもんじゃない。
努力とかの次元を超えすぎている。根本的に、脳がやられている。いつの間に俺の脳はここまでぶっ壊れたんだ。
問題は、それでもなお仕事をしなければいけないことだ。こんな脳で、仕事をして、成果を出せるとは到底思えない。しかし、それでも、頑張るしかない
思うに、自殺というのは、相当な希死念慮や、かなりの精神錯乱状態じゃないとできないのではないだろうか?自分を殺すというのは、生物として、相当なことだ。
功利主義的に考えて、生きているより死んだ方がいいという結論を出すことと、実際に自殺を決行することには、ものすごい距離がある。私は、生きていても嫌なことばかりだと思っているが、全く自殺できる気がしない。
現実的に考えれば考えるほど、自殺は難しい。方法は色々あるが、どれも失敗しそうだし、なんというか計画を立てないといけない。例えば、どんなロープを買って、どんな結び方をして、どこで行うかなど。果たして、私が死ぬことを決意するような精神状態になったときに、そんな落ち着いて道具を集めたりできるだろうか。
なんだかんだ書いたが、私は結局、そんなに死にたくないのかもしれない